最近の出版制作現場のちょっとした悩み
私は書籍編集者と名乗っている。そして、その書籍とは、ほとんど、書店に並ばない学術出版なのである。なぜ並ばないか? というと、定価が高くて、書店に於いてもらえない。それと発行部数が少なすぎて、全国の書店に配本するほどの作っていない、などなどの理由がある。
ある親しい学者に、先生の論文は誰に向けて、書いているのか? と聞いたところ、自分と同じような研究をしている専門家に向けて書いていると応えたので、その専門家は何人ぐらいの人数なのか? と重ねて尋ねたところ、三人ぐらいだと答が返ってきた。
将来の読者も加味しても、10冊も作れば、もう充分ということになる。
それなら、何も編集者もいらない、自分で10部プリントアウトして製本すればいいということになる。
あ、これは、別の機会に書くことだった。
軌道修正。
私のやっている仕事は超専門的なもんで、あんまり商売にならないのだが、それはさておき、最近きちんとした原稿が来ることが少なくなっているような気がする。
というのも、最近、原稿が出来たといって、届く原稿が、一覧表だったり、エクセルで、とりまとめたので、うまいこと、入れて置いて、という依頼が多い。
そして、ゲラを取り急ぎPDFなどで送ると、メールで返信があり、何行目は何と直すとか文章で指示がでることが多い。
PDFに加筆して校正として指示する能力がある人は、いまのところ、私の著者筋では絶無で、PDFをプリントして、赤字をいれ、それをPDF(画像)にし直して、メールで送ってくれる人もいない。
だから、ちっとも、効率的ではない。何とかしなきゃ。
捨て仮名
捨て仮名(すてがな)は、日本語の表記において、「あ」に対する「ぁ」のように小字で表される仮名を指す、元来は印刷用語である。
と、ウキペディアに出ていた。何故調べたかというと、日本近代文学館報2016年3月15日号の6頁三段目に吉本隆明「共同幻想論」の原稿の写真が掲載されており、そこに「略字・新カナ・捨カナ使用」 と印が押されているのを見たのがきっかけだ。
以前にもこの「捨カナ」というのを見たことがあるが、そのときは、調べてみる気持ちが起こらなかった。気持ちに余裕がなかったのかも知れない。
「略字・新カナ・捨カナ使用」というのは、原稿にどのような文字が記されていても、現代通行の形で組みなさいってことだ、ということが分かった。
つまり、原稿通りに、文字を再現することではなく、書かれた内容を、多くの人に読みやすく提供するということを、出版社が選んだということなのだ。
この写真に見える掲載紙は、「文芸」三月号とある。
―と-とー
あれ、原稿用紙って?!
いつものように、NHKの朝の連ドラを見ていたら、原稿用紙が出て来た。
それは、日本女子大の創設者が、あさに自分の考えを示すために、読んで欲しいと手渡すためであった。
ちょっと、古びた感じの原稿用紙であったが、見ると二十字×二十行、四百字詰めの原稿用だった。
この時の時代設定は、たぶん明治の三十年代後半だと推測される。この時代に、この見るからにコクヨの原稿用紙的な原稿用紙があるはずがない。ちょっと、興ざめ。
原稿用紙は、活字組版を効率化するために考案された文房具であるので、新聞雑誌の字詰めに合わせて作られ始められ、やがて一般に普及して学校での作文に使われるようになった。
詳しいことは、『近代文学草稿・原稿研究事典』の「枡目の近代―「原稿用紙をめぐって」― 宗像和重」を参考にして欲しい。