今日は月曜日だ

体調は、幾分持ち直したみたいだ。

ただ、節々がすこし痛い。

鼻の具合がどうもおかしい。花粉症だなこれは。

 

5時50分に起床。トイレ。台所に行って、水を飲み、茶碗をかたづける。

今日から朝飯を作るべきか?

 

活版の活字について

 巻号活字とポイント活字の切り替えはいつ頃から始まったのだろう。

 私が、この職業に従事した今から35年ほど前でも、10ptはない。10pt以上は巻号活字だという印刷所があった。つまり巻号活字とポイント活字が一緒に使われていたのだ。

ただ、10ptと5号の面積の違いはそれほど大きいものではないので、インテル・クワタを入れることで調整できる。ただ、活字の高さは、揃うのだろうか?

「活字の高さ」をネットで調べると東書文庫通信というところに、23.4ミリと出てくるが、それが標準であったのかどうか? ちょっと確認する必要があるだろう。

 

 

 

寄る年波

先週一週間、若い頃のように、遅くまで残業した。

そのためか、金曜日ぐらいから調子が悪く、土曜日に近所の病院にいった。

幸い、インフルエンザではなかった。

そのため、この土日は薬を飲んで寝ていた。

 

ただ、そうはいってもパズドラは手放せず、紅の華龍・バルバドスと、第十の使徒をゲット。魔法石を5つ貯めてレア・ガチャするより、私には向いているかも知れない。

それと、気がつかなかったがリリスとセイレーンが究極進化出来ることが分かって、即実行。

 

 

 

 

乍(なが)ら仕事

自宅で頼まれた仕事をするときや、自分の企画のために仕事をするとき、自宅のvaioで録画したテレビ番組をつけながら仕事をすることが多い。音楽をかけながら仕事をするのと同じで、殆ど見てはないので、基本的に映画やドラマ系の番組は、そういった時にはかけないで、まぁ、かけるのはトーク番組系、中でも一番好きなのは、「ケンミンショー」。その次は「チューボーですよ。」、「新婚さんいらっしゃい」などかな。

vaioでは、Giga Pocket Digitalというソフトがあって、このソフトがテレビの視聴・録画予約をすべて管理している。映画は、NHKBSプレミアムを中心に録画しているのだが、「プレミアム」というキーワードを録画用画面にぶち込んでおけば、勝手に「プレミアムシネマ」「プレミアムドラマ」などを録画してくれる。「あまちゃん」も「八重の桜」も録画してくれる。まさに、放映時間に左右されない生活を送れることになっているのである。

そして最近では、「大人の基礎映画」なども録画しているので、HDがいっぱいになってきた。
そこで、新たに、HDDを購入して、そちらに録画したものを移そうと思い立って、ヤマダ電機にいって、一応vaioだからソニーブラビアでも録画可能というHDDを購入したのだが、上手くいかない。
Giga Pocket Digitalの[設定]→[録画]という画面を表示させて、変更するHDDのドライブを指定して、さぁ、[移動開始]のボタンを押そうと思っても、ボタンがグレーになったままで押せない。

なんとかしなきゃ、いろいろやってみたのだが、上手くいかない。

仕方が無いので、映画などはブルーレイディスクに暇を見つけて焼くことにしているのだが、本末転倒である。

さて、そもそも、仕事をしながらテレビを見るという行為そのものが、間違っている。効率的ではない、はずなのだから、それを改めなければならないと、あたまでは分かっているのだが、どうも、これは私自身の発達障害であるのか、目先の小さな利益を優先してしまう傾向の為、改めることはほぼ、無理である。

いままでも、こういったことを何度も繰り返してきた私も、もうじき本卦還りに達する。つまり生まれた時に帰るのであるから、自らに出来ないことを自らが戒めるという、そういった矛盾した発想を止めていこうと思っている今日この頃である。

そして、今の結論は……

家のメインのテレビは、東芝のレグザであるから、そこにHDDを接続して、そこに録画をしていくこと、そのために、ヤマダ電機が回転したら、HDDを購入しに行くことに、決めた。

それじゃぁ、仕事をしながら録画が見られないではないかと、ここまで読んでくれて心配してくれる向きもあるかと思われるので、一応書いておくが、

最近は、ストレッチにちょっと興味を持っていて、居間のレグザの前は、「ストレッチ広場」ということを宣言して、横になりながらテレビが見られたり、私がワイシャツにアイロンをかけながらテレビを見てる場所なのである。

これからは「ストレッチでセルフマネジメント」して、「ストレッチでアンチエイジング」することにして、「ながら仕事」的、同一時間に二つ以上の作業を行うことは、止めないようにしよう。

畏れ多いこと

畏れ多いことに、今月、二冊の献本をいただいた。
『明治演劇史』

明治演劇史

明治演劇史

円朝全集』第1巻

 の二冊である。

私にとっては、なんで献本していただけるのか?
疑問である。献本して下さった方は、それなりにこれらの本を作るに際して、私が協力したと思って下さったのだろう。
誠にありがたいことである。

このような自分が欲しい本、自分で手がけてみたかった本が、いただけるのは心からありがたい。
不謹慎な言い方を許してもらえるなら、
編集者という者は、出したい本があるから編集者をやっている。
それなりの苦労をして、本を世の中に送り出すのだ。

送り出してしまうと、もう読まない。完成するまでに原稿の時点で、校正の時点で何度も読んできたからだ。たぶん多くの編集者は読まないだろう。
それが、今回は、自分では苦労しないで、完成品を味わって読めるというのは、願ってもないことである。

さて、献本をもらって、このようなことをブログに書いているのは、正直言って、半分は自慢である。嬉しいことを書いてみたい気持が収まらないのは事実である。
しかし、よくよく考えてみると、私の言動が、感謝され、献本された。そして、献本して下さったお二方は、人任せではなく、手ずから献本するため時間をかけ、行動を起こしていただいたのだ。私の所に届いた献本の姿をみれば、人任せの献本でないことは一目瞭然である。お忙しい方々にそこまでしていただけるとは。恐縮の憾みである。

つくづく有り難い。これからの自分の言動を、注意して、慎み深いものしていかなくてはならない。

願わくば、これらの良書を味わって読む時間の確保をする、強い意志が欲しい。

落語を聞きに行ったゾ

今年の神保町ブックフェスティバルの中に、落語会があった。

ちょっとした柵(しがらみ)で、その会に行くことになった。
もちろん、落語は好きだ。ちょっと詳しいと思っている。

ただ、私の悪癖なのだが、ライブというものが苦手なのである。
だから、寄席にも滅多に行かないし、コンサートなどもいったことがほとんど無い。というのも、昭和の名人上手のCDを聞いていると、寄席などで若手を聞いているとやっぱり味がないという記がしてしまうのだ。名人上手が私の判断基準になっているので、どうしても、アラがめだってしまうように感じる。それと、寄席などでは、高座に上がっているほとんど芸人は観客を笑わせることを主眼としてやっているような気がするのだが、私は落語は笑える物だが、笑わせられる類のものばかりではないのだという持論を頑なに信じ込んでいるのだ。だから、唯一寄席で一番感激したのは入船亭扇橋で最後まで羽織を脱がない「ゆらぎ」のような、彦六の随談のような話だし、実際、扇橋は小三治が描写するように身体が震えている。

半分以上期待しないで行ったのである。
行く為のポイントになったのは、一つは、行く前に、会社でやり残していた仕事をこなすこと。それと桂右團治が出るからである。彼女は、たぶん前座名を小文と行ったはずだ。この小文さんとは、私の家内が袖ふれあうぐらいの縁があった、と聞いていたからだ。それを確かめたいと思っていったのだ。

右團治は二席やった。二席目はよく知っている話だが、演題が思い出せない。出来は可もなく不可もなしと行ったところ。
最初の一席目はあまり落語ではやられない「徂徠豆腐」。この噺の原型は講談であろう。『講談と評弾』という本の付録DVDにこの演目が入っています(木越治編:八木書店刊)。落語家は落ちがある笑話を語るという風に思っている向きもあるだろう。間違ってはいないが、落とし話→落語家という構図での画一的な理解に他ならない。それはそれで構わないのだが、落語というのは、噺家のする噺の一ジャンルであり、噺家は、必ずしも客を笑わせる必要がないのである。笑わせる噺が噺家の本分ではないのは、円朝作の噺を考えれば分かるだろう。噺の中で滑稽な部分が出て来て笑いをとることは是とすべきだが、それが噺のメインではないことは、だれでも分かることだ。
余談が過ぎたが、この話、高座がはねた後に、右團治さんとお話することが出来て分かったのだが、右團治さんがかなり手を入れているとのこと。
噺の途中で、赤穂浪士の討ち入りの一節は、講談そのもので進める。これは、右團治さんの師匠の桂文治の「源平盛衰記」などと同様に、講談の五七調の語りで押してくるのと同様で、ああよくぞ、師匠の芸風を自らの芸に取り込もうとしているところに、頭が下がって、メッチャ感激。
それと、右團治さんは女流落語家を志向していない風がいい。きっと文治師匠の江戸っ子気質がそう仕込んだのだろう。そう思うと、やたら、この♀を追っかけてみようか、って気になってくる、のも不思議な物だ。

ただ、細かくは説明出来ないが、物語の時間の経過、もしくは物語中の期間の短さが気になってそのことを、ひとくされ注進申し上げた、初対面で、誠に僭越であったが、ついうっかり言ってしまった。駄目だなぁ、俺。

一緒に撮って貰った写真もありますが、私が映っているので、載せません。
ちなみに右團治さんのURLは以下の通り
http://www.udanji.com/

以前、木越治先生の講談「菊花の約」の中に「一週間」という言葉が出て来たので、
「先生、日本の近代以前に、一週間という時間の概念は存在しないのだから、十日ばかりぐらいにしておいたほうがいいのではないでしょうか」と、近世文学の泰斗の大先生に向かって言うぐらいだから、許してくださいね。

追伸的で申し訳ないのですが、
この落語会には、三遊亭王楽が出ていて、右團治さんと二人会でした。
この人も上手い。右團治さんと違って華やかな落語をしていました。とても父親が笑点に出ている三遊亭好楽の息子とは思えません。円楽の最後の弟子、といっていたけど、私は円楽をそれほど上手いと思っていないので、私にとってはその点はマイナスです。ただ、春風亭小朝を信奉しているといっていたのは、分かる気がする。華やかさと切り替えの鮮やかさは小朝似で、悪くはありませんでした。どのように枯れてくるのか、見てみたい気がしました。

だから、なるべく、寄席に行くことにしようっと。

以上。
最近、滅多に文章を書かないことに、危惧を感じているので、殴り書きしてみました。なるべく、書くことにします。
そのために、書くことを心がけた生活をおくるようにしようと思っております。

一段落

3月末までに仕上げなくてはならない本が3冊ほどあった。
これを、なんとか刊行するために、今年になってから、脇目もふらずという、言葉通りの仕事ぶりで、3?ほど痩せた。

実際、仕事が気になって食事が出来なかったのだ。

だが、そんなことも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例えのように、瞬く間に体重が戻る。

さて、昨年秋から、スポーツジムに入会したので、朝走る時間を仕事時間に振り替えていたのだ。
ところが、夕方帰宅してスポーツジムに行くか? というと、余り行かない。
自宅に帰って来てから、外出するのは、物凄くパワーがいることだと思う。
この歳になると、小学生の頃ランドセルを、玄関にホッポッテ、友達と遊びに行くような元気は全くない。
スポーツジムに行くのは、せいぜい、土日ぐらい。

ということで、旧に復して、朝のジョギングを再開した。
ちょっと、楽しい。