ちょっと心配

suzujun10302009-03-07

仮に読んで下さる方がいらっしゃったとしたら、大変申し訳ないのですが、
どうも、このブログのシステムがよく分からないのです。
まだ、推敲中なのに、掲示されてしまったり、写真の位置が上手く入らなかったり、
もう、送り手としては、さんざんなのです……。

大変お見苦しいくて、申し訳ありませんが、いろいろ大目に見てやってください


3月3日に大貫伸樹が「本の手帳」第6号を数冊献本してくれた。
http://d.hatena.ne.jp/shinju-oonuki/20090303#p1
誰に献本しようかと思って指折り数えていると、足りなくなる。
いつも本を送ってもらっている著者に送ることにしようか?
それとも、お気に入りの女性研究者に送ろうか?
考えているウチがハナである。

それにしても、大貫さんも頑張っているなぁ。ブックデザイナーとしても円熟している、と思う。
先月(2月)にウチの会社で出した2冊の本は、ともに大貫さんの装丁だ。どちらも本の内容と釣り合いのとれた、絶妙の装丁だと思う。
いろいろありがとう大貫さん。

ここで、ウチの会社の名前を出せれば、宣伝になるとも思うのだが、逆に恥じになることもあるだろう。隠しても、どうせ分かる人には分かるのだから、べつに構わないともいえるのだが、ここでの私の本名は鈴木潤一・会社の名前は馬並書店ということにしようと思う。柳田国男の「オコの思想」というのだったか、みんなで、ウソを共有して楽しめれば、こんなに嬉しいことはない。因みに、この設定は、大貫伸樹と一緒に「中年ジャンプ」(1992年創刊)という同人誌をやっていたとき以来の、私の設定である。ここの場(このブログ)では、「中年ジャンプ」の再現みたいなことを、試みてみようとも思っている。ただ、もう中年ではなく、「老年」であるのだが……。


そんなわけで、「中年ジャンプ」のもう一人の同人、長良川龍一にも差し上げようと思って連絡したが、携帯が上手く繋がらなかった。最近mixiでもご無沙汰だ。元気だろうか? ちょっと心配。

「ちょっと、心配」というので思い出したが、この3月末に刊行する本には、金版を使う。
その金版屋さんに今週初めから連絡していたのだが、連絡が取れなかったのだ。

もしや!?

と思った。

このまま手をこまねいて金版屋さんと連絡が付くのを、ぼーっと待っていることは出来ない。なんとかしなきゃ。怖いのは、他の仕事で頭がパニック状態になって、目先の重要案件を失念してしまうことだ(これは度々あることです、私の場合)。
そう思って、すぐに製本所に電話。

ところで、「金版」について、確認しておこう。(読み飛ばし可、ご用とお急ぎで無い方のみお読み下さい。)

金版というのは、本の表紙の背文字を押すために使う版のことをいう。最近は、

1.上製本が少ない
2.紙クロスに印刷されることが多い
3.金版は高いので、3ミリ版や銅凸で代用されることが多い

という、理由から、金版を使って、金箔(もしくは色箔)を表紙(クロス)に押している本は少ない。3に書いた3ミリ版というのは凸版のことで、3ミリ程度文字が活字の台より浮き上がっているものをいう。紙にインクで印刷するのと違って、本クロスや布クロスに文字を押し込むので、その分の長さが長くなっているのである。ただ、普通の凸版は材質は柔らかい亜鉛で作られることが多いので、部数が多かったり、表紙のクロスの材質が堅かったり(例えば、本麻でネップ〈糸のよじれで、これが本麻の風味を上げている〉があるものなど)には、向かない。若干堅いのが、銅凸という亜鉛ではなく、本当の銅で出来ているものがある。この二つは、どちらも、化学反応で金属を腐食させて作るのである。
金版の場合、材質は黄銅。まずは腐食させるのであるが、それからヤスリで削ったりもするが、最後は文字を手作業で彫り上げていくのである。金版は、堅く、1万部以上はそのまま押せる。押す回数が増えれば、角が丸くなり文字の切れが甘くなるが、そんな場合、文字面を削ることで、また角が再生する。それくらい深く職人の手で彫り込むのである。出来上がったばかりの金版は、金塊のように綺麗だ(といっても、本当の金塊など見たことがないが、……。)

今時、金版を見たことのある人も少ないかも知れない。
とにかく、最近は、活字でさえも印刷博物館に行かなくて見られなくなったから、いわゆる多くの「版」を目にすることはなくなっているのかもしれない。ほとんど、デジタルだし。物質としての「版」は少ない。そして、立体の「版」というのは、全くと行っていいほど目にすることがなくなって居るのかも知れない。今でも、言葉として製作現場で使われているのは「刷版」が一番有名で、それぐらいかなぁ、その次は「版下」だろうけど、物質としての「版下」ってのもないなぁ。ときどき「コピー版下にしちゃおう」なんていう、使い方をすることはあるけど……。「製版」という言葉もあるが、物としての言葉ではないからなぁ。

下手な写真だが、金版をお見せしよう。



私は、困ったときには、なるべくそのプロジェクトの代表者・責任者に、正直に自体を説明して、理解して貰い、一緒にトラブルに対処していこうと心がけている。
と書くと、大変立派に聞こえるかもしれないが、何度もトラブルに遭遇した結果に導き出された仕事上の知恵のようなものである。優秀な人間は、余りトラブルを発生させない。早い話、製本所に困って相談したのである。

この製本所の社長は私と同じ年。クリスチャンで(余り敬虔とは思わないが)子供が4人もいる。一度酒を飲んでいるときに子供の人数の話になり、私が「やっぱり、クリスチャンだと家族計画って、しないの?」と聞いたことがある(実際に交わされた会話の言葉はもっとオゲレツであったが……)。
「ああ、一応ね。でもクリスチャンとは余り関係ないかも……」
と、いうようなものだったと記憶している。

その製本所は、もう社長の息子の代になっていて、私はその息子の専務(つまり上記のエピソードの当事者ナンバー1)が電話に出たので、一気に、金版屋に連絡が付かない旨を話した。そしたら、

「エエ、ハイギョーですか?」

と、叫ぶ。

あからさまだった。

私だって、一番心配していたのは「廃業」だよ。
だって、今時、金版を使う本って、本当に少ないもん。もう、出版界のトキみたいなものかもしれない。
でも、出版界は誰でも知っているように、義理人情の世界だから、特に大きな商売をしない職人仕事という分類に入る金版屋が倒産するなんてことはあり得ない。もともと商売の金額が小さいので、資金繰りが悪くて「倒産」などということはないのだ。廃業するならキチンと事前に連絡があってしかるべきだ。しかし、連絡はない。

金版作りは、職人技だから、体をこわして入院したんだろうか?

それとも、どうせ仕事などないだろうから(と、いうのが私や製本所の専務が一番心配している事だけど、製本業界における金版の使用頻度の少なさに起因しているのでやむを得ない)旅行にでも行ったのだろうか? それならまずは安心だけど……。

仕事が困るのは、ヤムを得ないでは済まない。

そこで、製本所と相談することにしたのだった。

「まだ、決まった訳じゃないから……、そんな大きな声は出さないでくれよ。」
「ああ、そうなんすか」
「このまま連絡が取れなかったら、大変困る。お宅で、出入りの金版屋さんはあるの?」
「いやぁ、うち、ないっす」
「そう、じゃぁ、3ミリ版の銅凸で、いくしかないけど、版下を渡すタイムリミットは何時?」
「16日にハンコ(金版のこと)があれば、ダイジョーブですから、11日にもらえると助かります。」
「とすると、どちらにしても、月曜日(3/9)の判断で何とかなるね。それまで待つことにしよう」

という、話をしたことを思い出した。
その直後に金版屋さんから電話があって、事なきを得た。
なんとか、無事に、本の形になってくれると有り難い。

しかし、ほっとすると、かえって腹立たしくなる。今時幾ら職人だとはいいながら、数日間も仕事を休むなら、事務所の電話から自分の携帯に転送できるようにしておけ、

と、言いたかったが、

この金版屋さんの先代に私もいろいろ教えてもらったことも多かったし、当代は、私より年上だし、愛想良く版下を渡し、雨の中をわざわざ有り難うございます。と丁寧に対応しちゃった。

以前、布クロスの販売大手の「望月」の廃業をたしか、ブログに書いたことがあった。
その再現にならなくて、良かった。