勉強

知らないことばかりだ。

先日、巌谷小波のことを書いてある文章を読んでいた。
それは、雑誌『新潮』の明治43年1月号の「現代文芸百家小伝」で、「十六歳にして川田甕江の家に寓し、独逸協会学校に学ぶ」とあった。「独逸協会学校」は確かいまの独協のことだと分かったのだが、「川田甕江」の「甕」の字を何と読むのだったかわからなかった。たしか『南摩羽峰と幕末維新期の文人論考』を編集したときに出て来た筈だ。川田甕江は、備中の浅口郡の出身で山田方谷の推薦で松山藩の藩儒となったとある。そしてその息子が川田順で、同じ浅口郡連島出身の薄田泣菫と交流があったのか。と納得したのであるが、なんとあの「世界は二人のために」の佐良直美が川田甕江の孫であるとは知らなかった。

そんなことに愕いていたら、今度は、藤村操が那珂通世の甥であるということを知った。那珂通世は、那珂通高の養子で、この那珂通高の方が、『南摩羽峰』によく出て来た名前で、元は江幡五郎といい、羽峰と親交があった。維新後「古事類苑」の編纂に携わった一人とある。はじめ、藤村操の母が、那珂通高の娘と結婚したのだろうと思っていたが、実は、那珂通世が元江幡五郎の養子に入った後にその江幡五郎が那珂に改姓したので、藤村→江幡→那珂となった。那珂通世からすると、本家の長男が藤村操ということになる。ちなみに、藤村操の妹は安倍能成の奥さんであることは、前から知っていた。エッヘン。

しかし、こんなことは知らなくても生きていく上では何等問題ない。第一こんなことはウキペディアに書いてある。でも、分かると面白い。

 

とはいえ、上記に挙げた人物の中で、実際に私がその人物の書いた作品と呼べるような物があるのは、薄田泣菫ぐらいのものだ。このあたりに、ちょっと問題があるなぁ。