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初期入力

初期入力という言葉も、最近余り聞かなくなった。

最近は文章を書きたい人は、必ずといっていいほど、パソコンを使って、文書を作ることが出来るからだ。

 

ホンの十年ほど前は、手書き原稿、もしくは組原稿がまだまだ主流を占めていた。それに加えて、ワープロ専用機、そして、パソコン系のデジタル原稿というのが普通だったかも知れない。時期的にはもう少し振るかも。そして、デジタルデータを貰う度に、FDはどんな仕様かとか、ワープロは何を使ったとかを執筆者に確認していた記憶がある。今は、メールに添付したり、ネット上のストレージでやりとりすることが普通だから、大きな問題はない。というか、印刷所も出版社も、どのようなデジタル事情に対応できるようになってきたセイだろうと思う。

 

ということは、今では、執筆者が活版時代の文選をしてくれるのだから、楽と云えば楽なのだが、それは、執筆者自身の都合によっているだけであって、必ずしも、印刷所の組版システムの都合に合わせて、文選(原稿作成)してくれているわけではない。凝った組版、例えば、ルビを入れるとか、二字下がりで組むときに、行末を改行して行頭にスペースを二字分入れるとか、はっきり言って、ボクのような編集者や、印刷所にとっては迷惑なのだが、その事はまたべつに書くことにして、先に書いた手書き原稿や組原稿などは、まず、テキスト化しなくては組めない。

 

活字組版の時代は、デジタルデータで原稿を貰うことは時代的には無かったといってよい。では、電算写植の場合はどうか? 殆ど無かったといってよいと思う。

 

文字盤を動かして版下を作っていた初期の電算写植の時代はともかく、やがてコンピュータ化してきた電算写植機は当然デジタル入力をしていた。ただ、一般的なキーボードから入力するのではなくて、SAZANNAという名前だったと思うけど、多段シフト式の入力機が利用されていた、ハズである。多段シフト型の入力機は現在の一般的な入力機より、効率的に入力することが出来るのだが、そうなるまでの修練が大変だと云われていた。何が問題かというと、多段シフトでの入力が一人前に使えるようになるまでの教育費が甚大で、なれてきた頃には寿退社ということになって、投下資本を回収できない可能性が多い点が、もともと危惧されていたことではあるが、一般的にはなり得なかった。

その次にちょっと注目を集めたのは、富士通のオアシスの親指シフトという仮名入力に特化した(もちろんローマ字入力も出来たはずだが)キーボードである。結局は普通のキーボードを、ローマ字入力で利用するというパターンに落ち着いた。

 

私の考えでは、活版印刷で作られた本の総冊数と電算写植機によって作られた本の総冊数は、案外近似値を示しているのではないか? と考えているのだが、これもなかなか実証する為の資料を集めることも出来ずに放ってあるが、何を言いたいのかといえば、ホンの10年ほど前の出版業界の右肩上がりの絶頂期には、相当数の本が世の中に送り出された訳で、その頃の文字入力というのが、どのように成されてきたか? というと、殆どがこのローマ字入力であったと、私はにらんでいる。

 

そして、各地に入力専門の会社が設立された。大日本印刷凸版印刷では、営業マンの奥さんが会社支給のワープロを使って入力の内職をしていた、という噂もあった。ちょっと慣れれば、簡単に入力できるので、入力専門の会社も数多く存在した。

 

しかし、だれでも簡単に入力できて、機会そのものが安価で誰もが使えるようにば、当然、文章を書く人自身も、ワープロを使うことになり、ひいては自分で自分の文章を文選するという行為を行っているということになる。

 

さて、話が、回りくどいのが、私の特徴であるが、そろそろ、本題に掛かろう。

 

多段シフトの入力は、活版の文選時代同様、形が似た文字の誤入力が多かった。それに対して、ワープロ入力の誤入力は、同音異義語が多い、その事を認識した上で、校正をするべきだと提唱したのは野村保惠先生である。

 

私のような、ザル校正者(枠とも言われる、その意は、引っかかりもしないという程の意。つまり、役立たず)などは、どちらにしても、誤入力が見つけられないのだが、一応、師匠野村保惠の教えを守って、どういう初期入力で校正が出て来たのか? 聴かないと落ち着かなかったものである。

 

ということで、紙原稿は手入力が主だから、同音異義語の入力ミスを中心に校正をすればいいと思っていた。そしてそれは、やはりほぼ10年ばかり続いていたのだが、最近は、ちょっと異なってきているようだ。

 

というのも、外注の入力会社も高齢化および寡占化が進んできていて、というもの、入力単価の引き上げが成されていないためだと思うのだが、印刷屋さんも困っているので、その打開策を探っているようだ。

 

そんなある日、校正が出校し、「清河八郎の干葉道場」という誤植が見つかった。私の担当書で、原稿が組み原稿。ワープロが普及する以前、とある大学の紀要に掲載された論文が、組原稿として企画を通り、私が、印刷所に入れたものである。

 

見つけたのは勿論私ではない。ウチの課長である。窓際族の私が課長に何かの許可を貰うために、ちょっとゲラを見せたのだが、そしたら、校正の達人のその課長が、原価に、誤植を見つけた。

 

どこが間違っているのか? 清河八郎は浪士隊を率いて京都に行く幕末の志士である。清河は清川ではないので間違っていない。間違っているのは「千葉」である。これは千葉周作の道場なのだ。

 

手入力なら間違いようが、ほとんどない、誤入力である。

 

何故、このようなことが出来したか?

 

ここは、「しゅったいしたか」と読んでね。

ちなみに、弊社では重版出来とは云わない。理由は重版など殆どないから、ということもある。

 

そう、もう誰でも分かると思うが、手入力をしたのだ。って、そんなことがあるはずはない。答はOCR入力なのである。

 

一瞬、なんでOCR入力なんかをするのか? とちょっと腹立たしかったが、組版単価を下げる工夫として、最近精度が向上しているOCRを使うことは、当然のことと思われる。

 

ただ、以前、はやりこの印刷所(名前は出すなと営業にいわているので出せません)の校正でOCRを使用して組版してきたことがあるので、そのときもOCRで入力した場合は、その旨伝えてもらうよう依頼しておいたハズである。それがなされていないので、その営業マンを呼びつけて、日頃の不満鬱憤(もちろんその印刷所にはまったく関係の無い)をてんこ盛りにした雷を落とした。って、ウソですよ。

 

そして、組版の責任者に現状を聴いて、どのようにOCRを使っているのか? どういう原稿にOCRを使っているのか? そしてOCRを使うか使わないかの判断は、工場内で誰がしているのか? というようなことを、事情徴収した。その結果は、その印刷所の企業努力の集積に他ならないので、私がここに書き記す訳にはいかない。

 

ただ、今後はOCRを使って入力した場合、OCRを使って初期入力をしたことが分かるように伝えてもらうことにした。その伝達方法も、ここでは記さない。

 

ただ、従来組原稿には、割り付けとか組み版指定が加筆される、原稿の読みの時点で気がついた誤植の訂正指示もある。そういう形で印刷所に原稿を渡すのだから、OCR作業の邪魔になる。それで、割り付け・指定を入れていない、まっさらな原稿、そう、OCR用の原稿をもう一組用意して渡すことにした。はっきり言って手間が一つ増えた。

 

でも、私たちの仕事は、納得できる本を作ること。そしてそれが共時的に売れて生活を保障してくれる素地になること。さらに通時的に読まれて、長く益することであるので、協力して出来ることは、お互いに、進んですることにしましょう。

 

まぁ、これも気持ちの問題だな。