落語を聞きに行ったゾ

今年の神保町ブックフェスティバルの中に、落語会があった。

ちょっとした柵(しがらみ)で、その会に行くことになった。
もちろん、落語は好きだ。ちょっと詳しいと思っている。

ただ、私の悪癖なのだが、ライブというものが苦手なのである。
だから、寄席にも滅多に行かないし、コンサートなどもいったことがほとんど無い。というのも、昭和の名人上手のCDを聞いていると、寄席などで若手を聞いているとやっぱり味がないという記がしてしまうのだ。名人上手が私の判断基準になっているので、どうしても、アラがめだってしまうように感じる。それと、寄席などでは、高座に上がっているほとんど芸人は観客を笑わせることを主眼としてやっているような気がするのだが、私は落語は笑える物だが、笑わせられる類のものばかりではないのだという持論を頑なに信じ込んでいるのだ。だから、唯一寄席で一番感激したのは入船亭扇橋で最後まで羽織を脱がない「ゆらぎ」のような、彦六の随談のような話だし、実際、扇橋は小三治が描写するように身体が震えている。

半分以上期待しないで行ったのである。
行く為のポイントになったのは、一つは、行く前に、会社でやり残していた仕事をこなすこと。それと桂右團治が出るからである。彼女は、たぶん前座名を小文と行ったはずだ。この小文さんとは、私の家内が袖ふれあうぐらいの縁があった、と聞いていたからだ。それを確かめたいと思っていったのだ。

右團治は二席やった。二席目はよく知っている話だが、演題が思い出せない。出来は可もなく不可もなしと行ったところ。
最初の一席目はあまり落語ではやられない「徂徠豆腐」。この噺の原型は講談であろう。『講談と評弾』という本の付録DVDにこの演目が入っています(木越治編:八木書店刊)。落語家は落ちがある笑話を語るという風に思っている向きもあるだろう。間違ってはいないが、落とし話→落語家という構図での画一的な理解に他ならない。それはそれで構わないのだが、落語というのは、噺家のする噺の一ジャンルであり、噺家は、必ずしも客を笑わせる必要がないのである。笑わせる噺が噺家の本分ではないのは、円朝作の噺を考えれば分かるだろう。噺の中で滑稽な部分が出て来て笑いをとることは是とすべきだが、それが噺のメインではないことは、だれでも分かることだ。
余談が過ぎたが、この話、高座がはねた後に、右團治さんとお話することが出来て分かったのだが、右團治さんがかなり手を入れているとのこと。
噺の途中で、赤穂浪士の討ち入りの一節は、講談そのもので進める。これは、右團治さんの師匠の桂文治の「源平盛衰記」などと同様に、講談の五七調の語りで押してくるのと同様で、ああよくぞ、師匠の芸風を自らの芸に取り込もうとしているところに、頭が下がって、メッチャ感激。
それと、右團治さんは女流落語家を志向していない風がいい。きっと文治師匠の江戸っ子気質がそう仕込んだのだろう。そう思うと、やたら、この♀を追っかけてみようか、って気になってくる、のも不思議な物だ。

ただ、細かくは説明出来ないが、物語の時間の経過、もしくは物語中の期間の短さが気になってそのことを、ひとくされ注進申し上げた、初対面で、誠に僭越であったが、ついうっかり言ってしまった。駄目だなぁ、俺。

一緒に撮って貰った写真もありますが、私が映っているので、載せません。
ちなみに右團治さんのURLは以下の通り
http://www.udanji.com/

以前、木越治先生の講談「菊花の約」の中に「一週間」という言葉が出て来たので、
「先生、日本の近代以前に、一週間という時間の概念は存在しないのだから、十日ばかりぐらいにしておいたほうがいいのではないでしょうか」と、近世文学の泰斗の大先生に向かって言うぐらいだから、許してくださいね。

追伸的で申し訳ないのですが、
この落語会には、三遊亭王楽が出ていて、右團治さんと二人会でした。
この人も上手い。右團治さんと違って華やかな落語をしていました。とても父親が笑点に出ている三遊亭好楽の息子とは思えません。円楽の最後の弟子、といっていたけど、私は円楽をそれほど上手いと思っていないので、私にとってはその点はマイナスです。ただ、春風亭小朝を信奉しているといっていたのは、分かる気がする。華やかさと切り替えの鮮やかさは小朝似で、悪くはありませんでした。どのように枯れてくるのか、見てみたい気がしました。

だから、なるべく、寄席に行くことにしようっと。

以上。
最近、滅多に文章を書かないことに、危惧を感じているので、殴り書きしてみました。なるべく、書くことにします。
そのために、書くことを心がけた生活をおくるようにしようと思っております。