情報のはなし

「情報のはなし」(大村平著、日科技連出版社、1970年刊)という本を読んでいる。
先日、長良川と昼食をご一緒する待ち合わせ場所である神保町の交差点に向かっているとき、明倫館書店さんの店頭ののワゴンにひょいと目が行き、その本を見つけた。4,5歩行きすぎたのだが、思い直して、購入した。
私は、出版学会で情報について発表したことがある。ちっとも、反響がなかった。たぶん、勉強不足だったのだろう、もちろん、私の方が、である。
しかし、勉強をしようにも、情報そのものに関して、書かれているような本は、あまり見あたらず、ざーっと調べたところでは、情報処理関係の本ばかりが目について、あまり読む気にならないでいた。読んだとしても理解できるとは思わなかったのだ。まぁ、出版界というのも、情報を処理しているといえばいえるのだが……。
これも、何かのお導きと思い、大枚400円を払って、購入した。

この本は私にとって大変面白い。
基本的に理系の本なので、分からないところも多く、分からなくても分からないなりに読み進めている。
この本で理解したのは、理系の人間は、世の中を〈物質〉と〈エネルギー〉で出来ていると考えているらしい。そして、〈物質〉と〈エネルギー〉以外にも世の中を構成しているものがあるらしい、という疑問があったが、それが何であるかは最近まで分からなかった、と書かれている。それが〈情報〉であり、理系の人間に分かったのは、ホンの20年ばかり前だそうだ。刊行年から換算すると、理系の人間が〈情報〉を理解したのは1950年頃らしい。
思わず、へーっと驚いてしまった。

小学館の『大日本国語事典』で〈情報〉という語を調べてみると、「事柄の内容、様子、また、その知らせ」とあり、用例としては森鴎外の「藤鞆絵」(私はよく知らない作品)から「佐藤君は第三の情報を得た」と野間宏「真空地帯」から「誰よりもはやくその情報をどこからか入手してきていた」の二つを引いてある。ということは、江戸時代の文献からは〈情報〉という語の用例が見つからないということと理解して間違いない。鴎外の「藤鞆絵」という作品の成立年代は今調べても分からないが、鴎外の没年はたしか1922年、大正11年。「真空地帯」は戦後の小説だから、理系の人間が認識し始めた1950年代から文系の人間達が〈情報〉という言葉を使い始めたのは50年も離れていないようだ。日本語が使われ始めてからの長さにとって五〇年という時間はさほど、長い時間ではない。ちょっと、驚いてしまう。

さて、書かれていることの一つに、同じ形状のボール八個に中に一つだけ重さが重いボールがあるとして、天秤を使って重いボールがどれか、最短の方法で見つける考え方だの、「いやよして」という五つの文字の示す意味(「いや よして」なのか「いやよ して」なのか)などの理解の方法など、大分くだけた例をふんだんに掲げてあり、私にとっては大変興味深い。