ちょっとした道すがら

昨日所用で茗荷谷に行き、用事を済ませて、帰りは後楽園からにしようと思って歩いていた。春日局銅像の写真でも撮って、滅多に更新しないブログかFacebookにでも投稿しようと思っていたのだが、その手前に階段があるので、登ってみると、そこは東京都戦没者霊苑だった。全く知らなかった、何となく気後れしたが、入ってみることにした。

銅板に日中戦争・太平洋戦争で亡くなった兵士の人数が記されていた、中国本土で48万人ぐらい亡くなっていた。インドは3万人ぐらい。フィリピンが多くて、その周辺の南洋諸島でも合わせて中国本土と同等数程度の方が亡くなっているようだった。

その先に、慰霊の場があり、それはあたかも戦没者の霊が、いつでも降りてきて、舞い踊ることができるステージのような印象だった。そのステージの上座にあたる部分に、碑があり、山本健吉先生の自筆が彫られてあった。山本先生とはご自宅に数回あがらせていただいたことがある。お嬢様とはいまでも年賀状のやりとりをしている。もちろん、仕事の関係でだ。

写真を撮ってきたので貼り付けておこう。

そして、ステージの周りは回廊のようになっていて、その左側に、もう一つ碑があり、そこには『甘粕大尉』を書いた角田房子の文章が残されていた。写真をとったが、光が反射してよく写らないので、自分で読んでiPhoneに録音した。恥ずかしくて誰にも聞かせられないが・・・

 

子供のころ、高い文化を持つことが、他国の侵略を防ぐ最大の武器だと、友達と語り合っていたことを思い出した、ちょっとした小さな旅になってよかった。

 

さて、歳を取って億劫だけど、やっぱり、頑張らなきゃね。

 

調べて見ると、以下のような説明がネットにあがっていた。

そこで改めて文章を読んでみたが、現場で受けた感動を再び得ることができなかった。

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/seikatsu/senso/reien.html

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なんとなく独りで祝杯

本日、角川源義賞推薦図書の申請書が、社内回覧で回ってきたので読んで見た。応募要項とか、申請用紙とかの他に、本年の文学研究参考図書一覧というのがあり、それはさしずめ、ノミネートのようなものであるらしい。年寄りは最近ガツガツ仕事が出来ないので、半分うつろにそれを見ていたら、あれ、あれ、あれ、と三つ私が昨年手がけた図書が挙がっているではないか。

有り難い物だなぁ。と、思って、今晩は家内が仕事で食事をしてくるのが残念だが、独りで、祝杯を挙げた 、なので、ちょっと酔っ払って入力しているところだ。

 

いつも誤植が多いだろうが、今回は、その最たる物かも知れない。

 

まぁ、どれか一つでも受賞の栄誉をいただければ、それに越したことはないが、内のみ会社から出す物が、学術的な価値が高いと思われていること、そして、そういう新葉を積み上げてきたわが社のスタッフに感謝するとともに、

 

えへへ、ちょっと気分良く祝杯を挙げました。娘二人に自慢したけど、ちょっとは分かってくれているみたいなのも、感謝です。

 

勉強

知らないことばかりだ。

先日、巌谷小波のことを書いてある文章を読んでいた。
それは、雑誌『新潮』の明治43年1月号の「現代文芸百家小伝」で、「十六歳にして川田甕江の家に寓し、独逸協会学校に学ぶ」とあった。「独逸協会学校」は確かいまの独協のことだと分かったのだが、「川田甕江」の「甕」の字を何と読むのだったかわからなかった。たしか『南摩羽峰と幕末維新期の文人論考』を編集したときに出て来た筈だ。川田甕江は、備中の浅口郡の出身で山田方谷の推薦で松山藩の藩儒となったとある。そしてその息子が川田順で、同じ浅口郡連島出身の薄田泣菫と交流があったのか。と納得したのであるが、なんとあの「世界は二人のために」の佐良直美が川田甕江の孫であるとは知らなかった。

そんなことに愕いていたら、今度は、藤村操が那珂通世の甥であるということを知った。那珂通世は、那珂通高の養子で、この那珂通高の方が、『南摩羽峰』によく出て来た名前で、元は江幡五郎といい、羽峰と親交があった。維新後「古事類苑」の編纂に携わった一人とある。はじめ、藤村操の母が、那珂通高の娘と結婚したのだろうと思っていたが、実は、那珂通世が元江幡五郎の養子に入った後にその江幡五郎が那珂に改姓したので、藤村→江幡→那珂となった。那珂通世からすると、本家の長男が藤村操ということになる。ちなみに、藤村操の妹は安倍能成の奥さんであることは、前から知っていた。エッヘン。

しかし、こんなことは知らなくても生きていく上では何等問題ない。第一こんなことはウキペディアに書いてある。でも、分かると面白い。

 

とはいえ、上記に挙げた人物の中で、実際に私がその人物の書いた作品と呼べるような物があるのは、薄田泣菫ぐらいのものだ。このあたりに、ちょっと問題があるなぁ。

よしなし事

神保町の専修大学の交差点付近に、メガネドラッグがあります。眼鏡の鼻押さえが汚れていたので、メガネドラッグの店の前の超音波洗浄機で洗うことにした。昼休みのウォーキングを兼ねてそこで眼鏡を洗浄していると、私の名前を呼ぶ声に気がつく。顔を上げるとウエムラが居て、軽く昼食を二人で摂ることにした。

なんとご馳走になってしまった。

ウエムラとはお互いにおしゃべりだから、頭に思いついたことを夫々が勝手に話すので、卓球やテニスのラリーのような会話にならず、下手な銃撃戦のように、相手に命中はしないものの、ドンパチドンパチ五月蠅いだけだ。

ほぼほぼ月曜日に遅めの食事を一緒にしようという提案と、私が学会に行くことが決まった。

パズドラばかりしていないで、少しは勉強しなきゃ

しばらく ご無沙汰でした

ふと、気がついたのだけど……

 

私は、本クロス・布クロスを使わない本は、作ったことがないのではないだろうか?

たしか、並製本は一冊手がけたことがある。でも、製本所と相談して糸かがりをした。上製本で、紙クロスを使ったことがない、ほぼ確実に。

きっと、私ばかりではなく、ウチの会社の人間はみんなそうなのかもしれない。

 

たぶん、クロスを使ったことのない編集者が世の中に圧倒的に多いだろうに。

またしても、少数派である。

またモンク

永江朗の本の感想を書くつもりでいたが、大分ご無沙汰してしまった。

体調が良くないというか、気力が失せてきたというか、もうそろそろ初老の初をとってもいいのかもしれない。

そんなときに書かせてくれる気持ちにさせてくれるのだから、大変感謝しているのだけど、内容は、基本的にモンクですので、みなさん、機嫌の悪いときには読まない方がいいと思いますし、読んで機嫌が悪くなったら、ごめんなさい。

日曜日(今日のことです)、宅配便が来たので、どこかからChristmasのプレゼントがとどいたかなと思ったのですよ。というのも、なんと、昨日は、MacBook Airが友人から届いたのですから。奇特な金持ちの友達をもっていて、幸せ。

届いた荷物の差出人は、私が兄弟のように親しくしている印刷会からで、宛先は、私の伴侶宛。備考に「校正紙在中」と書いてある普通の角形4号の封筒。

 

ああ、○○のやつ(と社長の本名)、なんか新手のプレゼントで、商品券か、お米券とか、金券でも送ってきたのかな? しかも、女房宛に、

と思ったのです。「校正紙在中」と書いてあるのは、偽装とおもいつつ。

 

でも、やっぱり、自分で空けることはせず、伴侶のところに持っていって、二人してなんだろう? と考えつつ、二人で空けてみたら、

私の出身大学の紀要の書いた伴侶の校正が入っていた。これは随分前に、頼まれた書評の校正刷りであった。そして、忙しい伴侶の下仕事として、それを素読み校正をした。ワープロ入力の原稿で、組版は、エディアン++を使用している。ついこの間、この印刷会社のエディアン担当の熟練オペレータが突然退職してしまったけど、この紀要はそのままエディアンで組んでいることを確認。校正に赤字は入らなかったが、形容語の位置を工夫した方が分かりやすくなること、ルビを加えた方が好ましいことなどを鉛筆で指摘。内容的には、大変面白いもので、よかったと思います。

いろいろ好いことが多いのですが、この校正が何故印刷所から送られてくるのか? 大学側が、校正を執筆者に送付する作業を、印刷所に仕事を任せているからなのですが、私の伴侶は、個人情報の流出を常に懸念しているタイプの人間です。にもかかわらず、このようなことは、当たり前のことのようで、まったく気にしていませんでした。

たぶん大学の紀要などは編集の雑務を専属で行う人間がいないのでこのような仕事を印刷所に依頼するのでしょうが、印刷所としても、こういうことをシステマチックにして、大学に対するサービスを行うことによって、定期的な仕事を確保し、年間の売上を維持する必要があるのだと考えられます。よその会社に仕事を採られないために。

そして、私の出身大学は、私の伴侶に、校正の送付作業は、印刷所に任せるから、あなたの住所と電話番号を、印刷所に教えるけど、構わない? というようなことを確認するというようなことはなかったようです。ただ、この紀要の責任者である人間は、私たち夫婦と相識ですし、印刷所もやっぱり相識で、もともと、私伴侶の住所も電話番号もしっているのですから、なんの事態の変化もみられないのですが、やっぱり問題だろうと思います。でも、これはここに書くだけで、特に、関連各位にモンクの申し入れも致しません。

 

結局、仕事が軽減できて羨ましいなぁ、と思っている自分がいるので、嫉妬しているのかも知れませんが、でも、きっとそんな仕事をしていても、いい人間関係に発展していくことはないだろうなぁ、とも思います。そういう関係でつくられていく出版物はきっと、ピュアなものになっていくのだろうけど、私には疑問です。

私と言えば、なんでもきっかけをつくって、面白かったよとか、ちょっとおかしいんじゃないとか書き手とあって話をしたり、印刷所に、悪いけど、著者が約束守らずに遅れてるんだけど、なんとか急いでやってね。なんていいながら、仕事をしていくのが好きです。

 

 

読書日記:永江朗『小さな出版社の作り方』 その1

 

以前、鹿島茂の本に書いてあった読書日記の付け方に感動して、それをまねて、なるべく読書日記を付けている。

当初は、その本に対する感想などを書こうとしていたのだけど、感想を書くっていうのは骨の折れることで、なかなか気軽に書けない。面白いとか、為になったなどというだけなら、それほど気骨の折れることでもないだろうが、あとからそれを見ても、なんで、そう思ったのか? 首を傾げるばかりのような体験を幾度貸したことがあった。

面白いと為になったとかいう言葉は便利であるが、どこがどのようにというようなことを記して置かないと、同じ人物であるはずの未来の自分には伝わらないのである。と、私は最近、過去の私が記したこれらの文言に不満を持っていいるのである。

そして、近年とみに頭の老化が進んできている私の場合、考える能力が低下しているだけではなく、記憶力も絶無になって来ており、三歩歩くと鶏のように忘れてしまうのである(ちなみに、食べこぼしも多く、酉年の家内に、度々指摘されている)。

それだけではなく、鶏に似てきたのは、朝も早いのである。毎晩晩酌をしてこてっと寝てしまい、尿意を催して目が覚めるというタイプかも知れないが、一度目が覚めてしまうと「眠れない」という意識が強くて、自分の机に向かうことが多い。

自分の机の上には、PCがあり、そのPCにはテレビが付いていて、だいたい録画した朝野連続テレビ小説などを見てしまうのだが、それでは、あまりにも体たらくであると思ってしまうので、何かしようと思う。

しかし、主体的に何かをすることがなかなか、気力・体力的に、無理なようだ。気持ちが昂ぶってこない。たぶん、筋力が落ちているのだろう。

私の持論では、気力は筋肉に宿るからだ。

 

そして、何をしているのかといえば、電車の中などで読んだ本に、鉛筆で引いた箇所を書き写しているのである。ワープロばかりで、漢字を書かないから、漢字が出てこない。そのために、萬年筆で文字を書き写していた。これは結構気に入っていた。

 

ただ、あとから読み直すことが、自分の文字の汚さで、嫌になってしまう。

それと、一覧性と検索性に不満がつきまとった。それと、あまりに時間が掛かりすぎる。というのが、引っかかってきて、結局EVERNOTEに書き写すことにしたのだった。

そうすると、Amazonから写真も持ってこれるし、結構嬉しい。私はnexus7とiphoneをいつも、パズドラをするために持っているので、いつでもどこでも検索出来る。というよりも、何かを検索したときに、脇に候補として出てくるのがいい。EVERNOTE

Evernote

良い点は、自分が記憶しておこうと思ったものを、忘れた頃に示してくれる、こういう機能の点にもあると思う。

 

大分、前ぶりが長くなったが、今回この

 

小さな出版社のつくり方

 

も、大変面白く、ためになった。自分もそのうち、出版社を作ろうかな、などと考えてみたりした。永江朗の本はスゴク面白い。筑摩叢書の筑摩書房その後の40年なんかも大分感激して読んだと記憶している。たしか、昔ビックコミックスピリットで連載を持っていたのではないか? と記憶している。

早稲田大学の文学部教員図書館で見かけたこともある。文章も上手くて、読みやすくて、信頼できる書き手だと思っている。

 

本書の中で、一番良かった線引箇所は、以下の部分。

205p@ 共和国は印刷所としておもに精興社を使っている。人文書や文芸書で定評のある老舗で、一流の印刷会社だ。私はいちどテレビの仕事で青梅の本社工場を取材にいったことがある。「水声社時代にご円があって、いまもつきあってくれています。独立するならうちをお願いしますといわれたときはうれしかった。精興社の担当者は、よくチェックしてくれるんですよね。ひとりでやっていると、校正なんかも甘くなりがちですが、ミスがあると必ず指摘してくれます。いちど、進行の途中で綴じ開きの方向が逆になったことがあります。カバーも本体にしなければいけないのに、私もデザイナーもすっかり見落としていた。それを精興社は指摘してくれました。気づかないふりをして刷り直しを要求するような印刷所もあると聞きますが」

因みに、私は、精興社青梅工場の客員案内人にエントリー希望を出しているのだが、採用の通知は未だに来ていない。

この項続く。気が向いたら、ちょっとおかしいと思った箇所も記録するつもり。