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またモンク

永江朗の本の感想を書くつもりでいたが、大分ご無沙汰してしまった。

体調が良くないというか、気力が失せてきたというか、もうそろそろ初老の初をとってもいいのかもしれない。

そんなときに書かせてくれる気持ちにさせてくれるのだから、大変感謝しているのだけど、内容は、基本的にモンクですので、みなさん、機嫌の悪いときには読まない方がいいと思いますし、読んで機嫌が悪くなったら、ごめんなさい。

日曜日(今日のことです)、宅配便が来たので、どこかからChristmasのプレゼントがとどいたかなと思ったのですよ。というのも、なんと、昨日は、MacBook Airが友人から届いたのですから。奇特な金持ちの友達をもっていて、幸せ。

届いた荷物の差出人は、私が兄弟のように親しくしている印刷会からで、宛先は、私の伴侶宛。備考に「校正紙在中」と書いてある普通の角形4号の封筒。

 

ああ、○○のやつ(と社長の本名)、なんか新手のプレゼントで、商品券か、お米券とか、金券でも送ってきたのかな? しかも、女房宛に、

と思ったのです。「校正紙在中」と書いてあるのは、偽装とおもいつつ。

 

でも、やっぱり、自分で空けることはせず、伴侶のところに持っていって、二人してなんだろう? と考えつつ、二人で空けてみたら、

私の出身大学の紀要の書いた伴侶の校正が入っていた。これは随分前に、頼まれた書評の校正刷りであった。そして、忙しい伴侶の下仕事として、それを素読み校正をした。ワープロ入力の原稿で、組版は、エディアン++を使用している。ついこの間、この印刷会社のエディアン担当の熟練オペレータが突然退職してしまったけど、この紀要はそのままエディアンで組んでいることを確認。校正に赤字は入らなかったが、形容語の位置を工夫した方が分かりやすくなること、ルビを加えた方が好ましいことなどを鉛筆で指摘。内容的には、大変面白いもので、よかったと思います。

いろいろ好いことが多いのですが、この校正が何故印刷所から送られてくるのか? 大学側が、校正を執筆者に送付する作業を、印刷所に仕事を任せているからなのですが、私の伴侶は、個人情報の流出を常に懸念しているタイプの人間です。にもかかわらず、このようなことは、当たり前のことのようで、まったく気にしていませんでした。

たぶん大学の紀要などは編集の雑務を専属で行う人間がいないのでこのような仕事を印刷所に依頼するのでしょうが、印刷所としても、こういうことをシステマチックにして、大学に対するサービスを行うことによって、定期的な仕事を確保し、年間の売上を維持する必要があるのだと考えられます。よその会社に仕事を採られないために。

そして、私の出身大学は、私の伴侶に、校正の送付作業は、印刷所に任せるから、あなたの住所と電話番号を、印刷所に教えるけど、構わない? というようなことを確認するというようなことはなかったようです。ただ、この紀要の責任者である人間は、私たち夫婦と相識ですし、印刷所もやっぱり相識で、もともと、私伴侶の住所も電話番号もしっているのですから、なんの事態の変化もみられないのですが、やっぱり問題だろうと思います。でも、これはここに書くだけで、特に、関連各位にモンクの申し入れも致しません。

 

結局、仕事が軽減できて羨ましいなぁ、と思っている自分がいるので、嫉妬しているのかも知れませんが、でも、きっとそんな仕事をしていても、いい人間関係に発展していくことはないだろうなぁ、とも思います。そういう関係でつくられていく出版物はきっと、ピュアなものになっていくのだろうけど、私には疑問です。

私と言えば、なんでもきっかけをつくって、面白かったよとか、ちょっとおかしいんじゃないとか書き手とあって話をしたり、印刷所に、悪いけど、著者が約束守らずに遅れてるんだけど、なんとか急いでやってね。なんていいながら、仕事をしていくのが好きです。

 

 

読書日記:永江朗『小さな出版社の作り方』 その1

 

以前、鹿島茂の本に書いてあった読書日記の付け方に感動して、それをまねて、なるべく読書日記を付けている。

当初は、その本に対する感想などを書こうとしていたのだけど、感想を書くっていうのは骨の折れることで、なかなか気軽に書けない。面白いとか、為になったなどというだけなら、それほど気骨の折れることでもないだろうが、あとからそれを見ても、なんで、そう思ったのか? 首を傾げるばかりのような体験を幾度貸したことがあった。

面白いと為になったとかいう言葉は便利であるが、どこがどのようにというようなことを記して置かないと、同じ人物であるはずの未来の自分には伝わらないのである。と、私は最近、過去の私が記したこれらの文言に不満を持っていいるのである。

そして、近年とみに頭の老化が進んできている私の場合、考える能力が低下しているだけではなく、記憶力も絶無になって来ており、三歩歩くと鶏のように忘れてしまうのである(ちなみに、食べこぼしも多く、酉年の家内に、度々指摘されている)。

それだけではなく、鶏に似てきたのは、朝も早いのである。毎晩晩酌をしてこてっと寝てしまい、尿意を催して目が覚めるというタイプかも知れないが、一度目が覚めてしまうと「眠れない」という意識が強くて、自分の机に向かうことが多い。

自分の机の上には、PCがあり、そのPCにはテレビが付いていて、だいたい録画した朝野連続テレビ小説などを見てしまうのだが、それでは、あまりにも体たらくであると思ってしまうので、何かしようと思う。

しかし、主体的に何かをすることがなかなか、気力・体力的に、無理なようだ。気持ちが昂ぶってこない。たぶん、筋力が落ちているのだろう。

私の持論では、気力は筋肉に宿るからだ。

 

そして、何をしているのかといえば、電車の中などで読んだ本に、鉛筆で引いた箇所を書き写しているのである。ワープロばかりで、漢字を書かないから、漢字が出てこない。そのために、萬年筆で文字を書き写していた。これは結構気に入っていた。

 

ただ、あとから読み直すことが、自分の文字の汚さで、嫌になってしまう。

それと、一覧性と検索性に不満がつきまとった。それと、あまりに時間が掛かりすぎる。というのが、引っかかってきて、結局EVERNOTEに書き写すことにしたのだった。

そうすると、Amazonから写真も持ってこれるし、結構嬉しい。私はnexus7とiphoneをいつも、パズドラをするために持っているので、いつでもどこでも検索出来る。というよりも、何かを検索したときに、脇に候補として出てくるのがいい。EVERNOTE

Evernote

良い点は、自分が記憶しておこうと思ったものを、忘れた頃に示してくれる、こういう機能の点にもあると思う。

 

大分、前ぶりが長くなったが、今回この

 

小さな出版社のつくり方

 

も、大変面白く、ためになった。自分もそのうち、出版社を作ろうかな、などと考えてみたりした。永江朗の本はスゴク面白い。筑摩叢書の筑摩書房その後の40年なんかも大分感激して読んだと記憶している。たしか、昔ビックコミックスピリットで連載を持っていたのではないか? と記憶している。

早稲田大学の文学部教員図書館で見かけたこともある。文章も上手くて、読みやすくて、信頼できる書き手だと思っている。

 

本書の中で、一番良かった線引箇所は、以下の部分。

205p@ 共和国は印刷所としておもに精興社を使っている。人文書や文芸書で定評のある老舗で、一流の印刷会社だ。私はいちどテレビの仕事で青梅の本社工場を取材にいったことがある。「水声社時代にご円があって、いまもつきあってくれています。独立するならうちをお願いしますといわれたときはうれしかった。精興社の担当者は、よくチェックしてくれるんですよね。ひとりでやっていると、校正なんかも甘くなりがちですが、ミスがあると必ず指摘してくれます。いちど、進行の途中で綴じ開きの方向が逆になったことがあります。カバーも本体にしなければいけないのに、私もデザイナーもすっかり見落としていた。それを精興社は指摘してくれました。気づかないふりをして刷り直しを要求するような印刷所もあると聞きますが」

因みに、私は、精興社青梅工場の客員案内人にエントリー希望を出しているのだが、採用の通知は未だに来ていない。

この項続く。気が向いたら、ちょっとおかしいと思った箇所も記録するつもり。

 

 

日記:10月9日 仮名手本忠臣蔵を見る

朝、10時前に外出。娘2と共に、サミットにより、ポッキーと柿の種を購入。池袋で娘2をベンチに座らせ、東武デパートに寄り、行楽弁当1080円と、ゆで卵がマルマル入ったお握りをそれぞれ二つ購入。娘の処にもどり、国立劇場に向かう。11時開演ぎりぎりに間に合う。

大序など当然つまらないものとあきらめていたが、思いのほか、綺麗で嬉しい。

その後も加古川本蔵の重要性なども改めて認識できたのもよかった。

一番見たかったのは、判官切腹の場面。これは、直前の電車の中で、娘2に淀五郎という落語を聴かせておいたのだが、歌舞伎の場面を見るのは始めて。落語の方が面白かった。

ところで、幸四郎の足下が揺らいでいるように見えた。そういえば、私より年上なのだから、座っているところから立ち上がるのに、ちょっとよろめきかけるのは仕方がないかもしれない。

まぁ、面白かった。

 

来月も行きたい

学習

いま、担当している本には、難しい語彙がたくさん出てくる。

先日、記した二十三代云々というのもあった本である。

 

本日、学術出版社のPR誌を読んでいたら、

「各出版社の話題作が凌ぎを削っている」というのにぶつかった。

 

明らかに「鎬を削る」の間違いであろう。

書く方も書く方だ。しのぎをけずると入力すれば、私のATOKでは出てくる。

出版社の校閲もしっかりして欲しい。

 

校閲ガールのドラマが始まるのを楽しみにしている。

売れないよ

今朝、我が家の食卓で、

「昨晩、○○さんと、飲みに行って、彼の論文をまとめた企画を立てることにした」

 

と、家内に話す。

 

家内「いいね、でも、売れないよ」

と、答える。

 

これは、痛い。

 

ちょっと、というか大分ひるんだ。

 

なぜか、というと、私もあまり売れるとは思っていないからだ。ずばりホンネを疲れた感じ。

 

ただ、本が売れないというのは、一体どういうことなのか?

 

原価計算して、定価と発行部数の割合を考えて、採算がとれ、大きなもうけが出なくても、出版社としての再生産が可能であると判断し、そして、それを実行すれば、いいのではないだろうか?

 

だから、「売れないよ」というのではなく、

○○部しか売れない→○○部は売れる。と言って欲しい。

それが仮に100部だとしたら、100部で採算をとる方法を考えればいいのだ。

 

だが、○○さんの知り合いではあっても、出版人ではない家内にそれを求めるのはまちがっているとも思う。

 

家内が売れないといっているということ、それが1000部は売れないというのだろうか?500部ということなのだろうか?

もちろん、大手出版社だったら、こんな部数は眼中にないはずだから、もっともだけれども、仮に、500部売れたら、私としては大満足だと思っている。

 

編集メモ 20160923

「二十三代を襲う迄」

 

とゲラにある。

 

この場合、ルビを付けたものか?

それとも、二十三代も続いた家(家系)などと、文章を改めてもらうか?

二三代を襲う迄だ。

 

としたら、フミヨという女性に暴行を加えようというような意味に取られてしまうかもしれない。

 

これは、想定読者層を考えて、決定することになるのだけど、

この本では、これがそぐってしまう、文体なんだよなぁ。

FACEBOOKにかいたもの くだらないよ。

 
 
さて、購入して早速、本に購入した書店の紙のカバーをきちんとセットしようとしたら、なにやらボーズが見えるではないか、あれ? と思って手に取ってみると、普通の註文短冊、スリップとかボーズと呼ばれるものと同じ形状のものが挟まっているのが確認できたので、よくよく見てみるとそれは、常備短冊であったので、はたと困ってしまったが、早速戻しに行くというか、届けに行こうと思ったのである。
 
そもそも常備短冊というのは、普通の註文短冊とはちょっと異なっていて、一冊売れる毎に注文を出して、書店の書棚にその本を“常備”しておくべきものなのである。書店と出版社がそういう取り決めをしたアカシなのである。書店の棚には、私の購入した本が一冊だけしか出ていなかったので、もしかしたら、いや、きっとそのお店には在庫が一冊しかないのだ。
 
そのお店というのは、一時期、日本最大の書店だった訳で、そんなに大きな書店に、一冊しかない本。そして、版元必死の思いの常備短冊が、そのまま購入者(私のことだ)とともに消え失せてしまったら、その本の出版社は、その本の販売機会を、これを最後に失してしまうかも知れない! それは、私のセイ?
 
若干の心苦しさを抱えて、早速、三省堂書店に届けに行こうと思ったのだが、ちょっとみんな! 思い出して欲しい。
 
本日の昼は相当暑かったのだ。
 
このくそ暑い中を、駿河台の交差点を渡って、三省堂まで歩いて行くのか? それほどの距離ではないが。そして、あんなに大きなお店で、最近、池袋のジュンク堂をまねして、会計を一階の一箇所に纏めてしまって、いつも会計が混雑しているところに、また、並んで、説明するのか? 常備短冊のことを知らないレジの片もいらっしゃるかも知れない。それともインフォメイションにいって、どうすればいいのか? と相談するのか?
 
ダメだ。
 
まったく分からないじゃないか? 
 
 
と思い至った私は、じゃじゃぁ~ん、そこであきらめることなく、私の会社の斜前にある、その私が購入した版元(出版社のこと)に、行くことに、対処の方向を変えたのであった。
 
「御免ください、斜前の馬並書店です。」(この馬並書店という名称は、昔よく使ったなぁ)
「はいはい、何でしょう」
と、中から、営業の感じのいい女性が出て来て、経緯を話して、常備短冊を渡したところ、大変喜んで貰った。
 
常備短冊を購入者が届けるというのも、滅多にないだろうなぁ。
 
今日は、人に喜んで貰うことが出来て、いい1日だった、と力強く思うのであった。